【交渉会議】 「核禁止条約に期待」サーロー節子さんが演説[03/29]

毎日新聞 2017年3月29日 11時22分(最終更新 3月29日 11時27分)

国連本部でスピーチするサーロー節子さん=2017年3月28日、竹内麻子撮影
http://mainichi.jp/articles/20170329/k00/00e/030/258000c

 米ニューヨークの国連本部で開かれている核兵器禁止条約交渉会議で28日(現地時間)、広島で被爆したサーロー節子さん(85)=カナダ在住=が自身の体験を語り、
各国の代表から大きな拍手が送られた。「ずっと語り続けるのは苦しいことだった。やっと世界の理解がここまで到達した」と語った。
一方、同会議に不参加を表明した日本政府を「悲しい以上に怒りを感じる」と強く非難した。【ニューヨーク竹内麻子】

 サーローさんは13歳の時、爆心地から約1.8キロの学徒動員先で被爆。スピーチでは
「一番に思い出すのは被爆後まもなく4歳で死んだおいだ。皮膚が垂れ下がり、誰か分からないほど変わり果てた姿だった」と語った。

 日本政府が「条約に実効性がない」として会議に参加しないことには「被爆者は、母国に裏切られ見捨てられたという思いを深めた」と批判。
その上で「私たち被爆者が、条約が世界を変えられると思っていることを知ってほしい。皆さん、頑張ってください」と会場に呼びかけると、1分以上拍手が続いた。

 条約を推進するメキシコ政府代表は「被爆者の話はなぜ私たちがここにいるのか思い出させてくれた。彼らがいたからここにいて、彼らのためにここにいるのだ」と語った。

 スピーチの後、多くの人が駆け寄り感謝を述べた。サーローさんは「胸がいっぱい。広島、
長崎で亡くなった人たちの思いが活動を推進してくれた。被爆後72年。生きていてよかった」と涙をぬぐった。

 サーローさんは大学卒業後の1954年に留学した米国で、日本で起きていたビキニ水爆実験への反対運動について取材を受けた。
米国の核開発を批判した記事が載ると「真珠湾を忘れるな」「日本へ帰れ」との手紙が学生寮に届いた。
「孤独を感じたが、被爆者として語る責任があると自覚が生まれた」。移住先のカナダでは75年から毎年、
原爆写真展や犠牲者追悼イベントを開催。世界各国で証言活動を続け、ノーベル平和賞の有力候補に度々挙げられる。 http://www.wehate9.com/